おつぼ山神籠石と時空干渉者

おなかにダムを作る錠剤イオナミンを知ってから
私は、おなかにダムを作る錠剤イオナミンを知った1984年1月15日から1992年まで数十回、岡部薫博士を訪ねて話を聞いた。
地下鉄の用賀駅から岡部薫博士の家まで行く間には、世田谷美術館への行き先表示板がある。世田谷美術館がある公園は岡部薫博士の家の先にあるので、世田谷美術館に行くことはなかった。岡部薫博士の家の近くに世田谷美術館があることを覚えないままであった。1992年には両親がいる福岡市に戻った。
岡部薫博士がイオナミンの開発の確信を得たのは1973年頃らしい。これについてはおなかにダムを作る錠剤イオナミンを参照。
私は長い間、1973年にイオナミンを知っていれば、楽しい人生を過ごせたのにと思っていた。また、岡部薫博士の最初の著作が出版される1983年12月より前にイオナミンを知ることは不可能であったと、思い込んでいた。
日経サイエンスの1994年5月号のドイッチとロックウッドの「タイムマシンの量子物理学」(タイムマシンの初歩教材についてを参照)を読んでからは、井手洋子さんとの別れの時空選択がなければ、1973年に岡部薫博士に会えたかもしれないと思うようにになった。
井手洋子さんとの別れの時空選択があって教育破壊工場の悪魔達による罠にはまってしまう人生よりは、それがなかった人生の方が良いに決まっている。それならば、これらがなかった時空でならば、1973年に岡部薫博士に会えたかもしれないと思うようにになったのである。

おつぼ山神籠石の記念碑の日付
1999年4月になると、福岡市から佐賀県武雄市まで日帰りできるようになった。井手洋子さんとの別れの時空選択により、わたくしは武雄市から転出したのであった。
5月30日に33年ぶりに武雄市に行った。父が働いていた昭和バスの武雄営業所はなくなっていた。その営業所の中にあった社宅に、私は住んでいた。当然、その社宅もない。営業所の隣にあった武雄中学での同級生杉邑雅久君の家であった青果市場もない。杉邑雅久君は、武雄市内の別の場所に移っていた。この日には、武雄市の郷土史研究家である武雄輔氏と知り合った。
2000年6月4日に杉邑雅久君を訪ねた。私に、井手洋子さんとの別れの時空選択が起こらずに、高校卒業まで武雄市に住んでいたならば、おつぼ山神籠石という史跡に行っていたはずであった。
井手洋子さんとの別れの時空選択が起きた為に、私はおつぼ山神籠石を知らないままであった。この時には、武雄市におつぼ山神籠石があることを知っていた。おつぼ山神籠石を知ったのは古田武彦著「古代史60の証言 金印から吉野ヶ里まで 九州の真実」(駿々堂、1991年2月28日)による。杉邑雅久君が自家用車で、私をおつぼ山神籠石に連れていってくれることになった。
この時杉邑雅久君が、井手洋子さんの親友である中川京子さんの実家を教えてくれた。その場所は、私が住んでいた社宅跡地とおつぼ山神籠石の間にあるのである。
おつぼ山神籠石に着くと、記念碑の日付が「昭和四十一年九月三十日建設」(1966)と彫られているのが目に付いた。この日付は、私が武雄市から転出した二ヶ月後である。私が武雄市から転出しなければ、私は当然ここに来ていたはずである。私は歴史を好きなので、繰り返しここに来ていたはずである。その度に中川京子さんの家の近くを通っていたはずである。
以下の写真は2010年6月16日に撮りました。
写真1はおつぼ山。
写真2の石の列が、おつぼ山神籠石
記念碑のそばに書いてある説明を添付します。句読点がない文です。

神籠石は古墳時代後期に築成されたと推定されている朝鮮式山城に類する古代史上重要な遺跡である
おつぼ山神籠石には杵島山の派生して半独立ノ丘を呈している標高六二米のおつぼ山に築成されていて昭和三十七年五月に発見された全国八番目の神籠石である
この神籠石の列石の延長は約一八七0米でその中約七六0米は破壊欠失している門址二ヶ所水門址二ヶ所土壘一ヶ所が現存しており列石線の前面には三米の間隔で柱孔が並び木柵が設けられていたことを物語っている
水門は谷の上方へ向かってアーチ形に構築されており奥行九米の間には無数の栗石が投入され中央には石囲いの暗渠が通じていて放水装置であることを知ることができる土壘は峰と峰との鞍部を連結するため九米幅に二列に石を並べ盛土をしたものであり門址は開口三米でそれぞれ四個と六個の柱孔がある
写真3の赤い線が神籠石の列
写真4の記念碑は第一水門の所にあります
写真5は記念碑の日付

別れの時空選択がなかった世界
井手洋子さんが親友の江口摩利子さんと別れを惜しんでいる場に私が出くわして、井手洋子さんとの別れの時空選択が発生して江口摩利子さんと同じ高校に入学し卒業したことは、別れの時空選択で述べている。
このことを中川京子さんに知らせることにした。そのために2001年9月8日に彼女の御両親を訪問した。訪問すると、御尊父が出てこられた。
私は、「京子さんの古い友達について知らせに来ました。」と言った。更に、「京子さんの親友である井手洋子さんの親友である人です。井手洋子さんの住所が分からないので、京子さんに知らせることにしました。」と言って、御尊父に説明を続けた。
すると、奥から「井手洋子さんは、ここにはいらっしゃいませーん。」という声が聞こえて、お母さんが急いで出てこられた。
お母さんは私の顔を見て、「井手洋子さんて、大柄でまん丸としている人でしょう。」と言われた。私は「京子さんと同じ背の高さです」と答えた。お母さんは間違いないと思い、更に私を見つめ続けた。まるで、私が井手洋子さんの婿に相応しいかどうかを鑑定しているように見えた。
本当にそうであったことは後で分かった。私が「井手洋子さんの住所が分からない」と言った箇所だけお母さんに聞こえたらしい。お母さんは井手洋子さんについて話し続けた。井手洋子さんの家は中川氏の家の近くにあったというのである。「井手洋子さん宅とは同じ町内会だったのですよ」と言われた。お母さんは江口摩利子さんには全く関心を示さずに、井手洋子さんと私の仲人をしたいという態度であった。
その間、「変わってる人ね」とか、「中学生の時のことなんか、京子覚えてないと思いますわ」と言われた。「江口摩利子さんと同じ高校に入学し卒業したことを京子さんに伝えてもらいたいのです」と私が言うと、「そんなことのために来たのですか」と言われた。結局、私が事情を説明している手紙を京子さんに届けてくれることになった。その手紙を御尊父に渡して、ご両親に読んでもらった。娘の両親に読ませた手紙を娘に送ってほしいというのだから、「変わってる人ね」とか「そんなことのために来たのですか」とか言われるのが当然かもしれない。
数日後に京子さんから葉書が来た。その葉書によると、私が武雄市から転出しなかったならば、井手洋子さんと私が親しくなっていたと、京子さんは考えているのである。これで、京子さんのお母さんが仲人をするつもりで奥から出てきたのだと分かった。
私が中川氏を訪問した時には、岡部薫博士の家から約3kmの所に美術大学があることを、私は知っていた。それから数ヶ月後には、岡部薫博士の家の近くに世田谷美術館があることを知った。井手洋子さんは、デザイナーになることを志望していた。近くにある美術大学は、デザイナー志望者に人気のある大学である。井手洋子さんの家の近くに住んでいた中川京子さんの御母堂は、仲人をするのが好きである。これらをまとめると、井手洋子さんとの別れの時空選択がなかった世界は次のようになる。
私は、おつぼ山神籠石に通い続けた。その度に、井手洋子さんの家の近くと中川京子さんの家の近くを通った。中川京子さんの御母堂が、井手洋子さんと私を親しくさせた。井手洋子さんは美術大学の学生になり、私を後に世田谷美術館が建てられる公園に連れていった。そこで、イオナミンを開発したばかりの岡部薫氏と、私は知り合った。1973年に岡部薫博士と知り合うことが可能だったのである。なお、世田谷美術館が建てられたのは1986年である。

おつぼ山神籠石と時空干渉者
私が武雄中学に入学した時に、同時に入学した幼なじみの市丸藤正君と会うことができなかったことは、 別れの時空選択で述べている。彼の家は、おつぼ山神籠石の近くにあるのではと考えた。捜すと、本当にそうであった。2003年4月6日に彼の家を訪問した。奥様が家にいらっしゃった。奥様は、市丸藤正君が福岡市の小学校に入学したことも、その時の同級生が武雄中学に入学していたこともご存じだった。市丸藤正君は奥様に私のことを話していたのである。
私とおなかにダムを作る錠剤イオナミンとの出会いを妨害するために、私が中学生の時におつぼ山神籠石に行くのを妨害した者がいるのである。その妨害者を時空干渉者と呼ぼう。これがなければ、十一年早くおなかにダムを作る錠剤イオナミンを知ることができたのである。
私が小学校を卒業した直後に、狡い政治家進藤一馬が福岡高校の体育館建設を利用して一万円巻き上げた。そのおかげで、栄養が落ちてしまった。そのおかげで、私が武雄中学に入学した直後に、母は市丸藤正君の御母堂マツエさんに、家に行く道を尋ねるのを忘れてしまった。狡い進藤一馬が一万円巻き上げたのは、私をおつぼ山神籠石に行かせないための罠だったのである。
これは、私と井手洋子さんとの別れの時空選択を起こすための罠でもあった。さらに、私がおなかにダムを作る錠剤イオナミンを知ることを妨害する罠だったのである。時空干渉者が狡い政治家進藤一馬と教育破壊工場の悪魔達を利用したのであった。
池永正明投手がこの妨害に巻き込まれたことは池永投手の追放は時空干渉で述べている。
大学生の時に国際語教育協議会というエスぺラント語の試験を広めようとする団体に入っていたこともおなかにダムを作る錠剤イオナミンを知ることを妨害する罠の一つであった。これについては国際語教育協議会の崩壊を参照。

このサイトの頁構成図タイムマシンの初歩教材について
日出島哲雄(秀島哲雄)

2018年10月1日に「2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービスを終了」というメールが来た。
そのメールにはホームページの引越先が六つ紹介されていた。
2019年2月27日水曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに引っ越し。
Yahoo!geocitiesから引っ越し。Yahoo!ジオシティーズから引っ越し。
2019年3月28日木曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに転送設定。
2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービス終了