池永投手の追放は時空干渉

井手洋子さんと同じ高校に進学するのが、私の本来の時空(未来)であった。ところが、井手洋子さんが、武雄中学から転出することが決まっていた江口摩利子さんと別れを惜しんでいた場に出くわした。その結果、私の時空(未来)は、江口摩利子さんと同じ高校に進学する時空(未来)にすり変わってしまった。これは、別れの時空選択で述べている。
1969年4月、私は福岡県立福岡高校に入学した。入学すると、立派な体育館に驚いた。この体育館の建設のおかげで、福岡高校に入学してしまったのかと思った。私が小学校を卒業した直後に、この体育館建設のための寄付金を強制されたことは時空干渉が始まる迄で述べている。
体育館で福岡高校の入学式があった。入学式が終わって体育館から外に出ると、江口摩利子さんを見かけて非常に驚いた。「なんで江口摩利子さんがここにいるのだ」と思った。話しかけて、「井手洋子さんと中川京子さんは一生に一人会えるかどうかという絶世の美女。」と言おうと思った。しかし、教育破壊工場の悪魔達の嫌がらせの影響で、それはできなかった。教育破壊工場の悪魔達は私が江口摩利子さんと同じ高校に入学するのを妨害していたのであった。
高校生活の三年間、江口摩利子さんと同じクラスになることはなく、話すこともなかった。
高校卒業後に江口摩利子さんに、それまでの事件を知らせて、井手洋子さんに会いに行くことができたはずであった。しかし、これを諦めさせる事件が起きたのであった。

高校二年生であった1970年の6月に、父は家を建て私と家族はそこに住み始めた。この時から通学途上に平和台野球場の近くを通ることになった。しかし、私は平和台野球場に行く気がしなかった。西鉄ライオンズのエースだった池永正明投手がプロ野球の黒い霧事件で、五月にプロ野球界から永久追放されてしまっていたからである。
池永正明投手が西鉄ライオンズに残っていたならば、平和台野球場に西鉄ライオンズを応援しに行った。そして、高校卒業後に井手洋子さんに、池永正明投手を見に行こうと誘いに行っていたであろう。
池永正明投手は八百長をしていない。それにもかかわらず永久追放されたのは、先輩のT投手が持ってきた百万円を返さずまた報告していなかったからであるという。
野球界では先輩後輩の厳しいという。池永正明投手は百万円を突き返せなかったのである。報告はしたくても、できなかったのである。T投手は完全試合をした投手なのである。池永正明投手は、T投手の完全試合の名誉を傷つけたくなかったのである。
池永正明投手は西鉄ライオンズに入団してから五年間で99勝をあげ、防御率は2点台の大投手であった。私が高校を卒業して大学に入学しても、西鉄ライオンズに池永正明投手がおらず、西鉄がライオンズを手放す決定をしていては、井手洋子さんに会いに行く気がしなかった。

大学生の時については国際語教育協議会の崩壊で述べる。

1978年10月12日、ライオンズは九州から所沢に持ち去られた。翌10月13日に西武球場の建設現場に行ってみた。建築工事の初期の段階であった。今、考えてみると西武球場の建設工事を始めて一年たっていなかったのである。ライオンズが江川卓投手を指名してから後に西武球場の建設工事を始めたのである。残念ながら、私がこれに気づいたのは2012年であった。
ライオンズが九州から持ち去られた時、西鉄ライオンズ研究会という団体が発足した。その時、福岡高校と九州大学の後輩である秋武剛一君が副会長に選ばれた。秋武剛一君は九州大学経済学部の二年生で九州大学ライオンズ研究会の会長であった。九州大学ライオンズ研究会は解散した。
秋武剛一君はプロ野球の黒い霧事件が起きる前の西鉄ライオンズの経営について調べ、この時期の経営に問題があったことを突き止めた。別れの時空選択が発生した後に西鉄ライオンズはプロ野球の黒い霧事件に巻き込まれるようになっていったのである。
そういえば、私は福岡高校に入る一年前に警察に捕まる生徒が多い東光中学に転入させられた。この年に、黒い霧事件を起こした選手たちが西鉄ライオンズに移籍している。その二年前に私は入学した武雄中学から転出させられた。この時期の西鉄ライオンズの経営に問題があったと秋武剛一君は主張していた。この時期に池永正明投手を罠にかける陰謀は進行していたのである。残念ながら、1989年にダイエー・ホークスが福岡に来て、1993年2月に彼は亡くなってしまった。
この時はまだ私は池永正明投手の追放がタイムマシンを使った陰謀であったことに気づいていなかった。秋武君剛一にこれを伝えることができなかった。秋武剛一君の調査結果も永遠の謎になってしまった。
1964年から1971年にかけて博徒シリーズという映画が上映されていたことを2023年9月1日金曜日に知った。博徒シリーズという映画すなわちヤクザ映画の影響により、プロ野球の黒い霧事件は起きたのである。1969年、1970年には、これを指摘する人はいなかった。指摘があれば、池永正明投手は追放されなかった可能性がある。西鉄ライオンズも存続できた可能性がある。
読者の皆様に知っておいてもらいたいことがあります。陰謀に使うタイムマシンは乗り物である必要はなく、転送装置である必要もありません。陰謀の対象になる人に対して、本来と別の未来を選ばせればよいのです。池永正明投手はタイムマシンを使った陰謀の犠牲になったのです。

池永正明投手が事件に巻き込まれた理由はおつぼ山神籠石と時空干渉者で分かる。おなかにダムを作る錠剤イオナミンを開発した岡部薫博士と出会いを妨害するためだったのである。
おなかにダムを作る錠剤イオナミンを開発した岡部薫博士は、世田谷美術館がある公園の近くに住まわれている。そこから3kmぐらい離れた所に美術大学がある。井手洋子さんはデザイナーになることを志望していた。
井手洋子さんに会えば、私は学生時代におなかにダムを作る錠剤イオナミンを知る可能性があった。池永正明投手のブロ野球界からの永久追放は、その可能性にとどめを刺すものであった。
外部リンク特定非営利活動法人 /// 西鉄ライオン
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日出島哲雄(秀島哲雄)

2018年10月1日に「2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービスを終了」というメールが来た。
恐ろしい。
そのメールにはホームページの引越先が6つ紹介されていた。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVER、XREA、忍者ページ、StarServerであった。
ジオシティーズにあるホームページと同じホームページを引越先のサーバーにアップロードすることはできる。
新しいホームページは検索されて出てくるようになるまで長い月日を必要とするのである。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVERは有料なので使う気がしない。
XREA、忍者ホームページ、StarServerには無料サーバーがあるので、この三つから選ぶことになる。
忍者ホームページには悪い評判がないので、忍者ホームページを選んだ。
2019年2月27日水曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに引っ越し。
Yahoo!geocitiesから引っ越し。Yahoo!ジオシティーズから引っ越し。
2019年3月28日木曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに転送設定。
2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービス終了