国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の崩壊

ザメンホフ(Zamenhof)のエスペラント語の最初の学習書(第一書Unua libro)の日本語訳は、エスペラント博士著『国際語』(水星舎、倉内ユリ子訳)である。この中の16条の文法、単語表と読み物は1日で読める。忘れたら、復習すればよいのである。1日で学べるから、復習も楽である。継続は『エスペラント原典』Fundamento de Esperantoでできる。以上のことは国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。
ところが、ザメンホフ(Zamenhof)以外の人物が作ったエスペラント語の学習書は、1日では終わらない。エスペラント語以外の言語の文法の学習は1日では終わらない。そのためか、エスペラント語の学習書を作る人達は、エスペラント語の学習も1日では終わらないと思い込んでいる。その結果、エスペラント語を学んでいる人達の多くは、エスペラント語の学習を投げ出すことになる。
エスペラント語が広まらない原因は、1日で終わらない学習書を使っているからである。このことを分かっている人には会ったことがない。最初の学習書(第一書Unua libro)を日本語に翻訳した倉内ユリ子氏は分かっていると思う。しかし、倉内ユリ子氏はエスペラント界では有名でない。結局、エスペラント語の普及運動をしている人達の中には、分かっている人は全くいないと思ってよい。
下の写真2枚はエスペラント博士著『国際語』(水星舎、倉内ユリ子訳)。紙切れはとじ込まれている単語表。

1887年にエスペラント博士著『国際語』が発表されるまで「国際語」という単語はなかった。「国際語」とはエスペラント博士が発表した言語を示す固有名詞であった。「世界語」という普通名詞はあった。
1887年、エスペラント博士著『国際語』はロシア語で発表されて、ポーランド語、ドイツ語、フランス語での発表が続いた。ロシア語では二度目の発表もあったという。ロシア語での最初の発表のときと単語が少し変わったという。英語でのエスペラント博士著『国際語』はRichard H Geogheganというアイルランド人が翻訳したという。
1888年には、全文がエスペラント博士の国際語で記された小冊子が発表された。エスペラント第二書Dua Libroと呼ばれている。アンデルセン童話の「影法師ombro」の国際語エスペラント訳が含まれていた。
1894年には「練習読み物EKZERCARO」と「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」が発表された。
「練習読み物EKZERCARO」の§1はアルファベット、§2,§3,§4は単語による発音練習、§5から§42は読み物である。§5から§42の読み物の前には新出単語の訳語がフランス語、英語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語で書かれている。設問はない。黙読・音読・書き取りがエスぺラント博士ザメンホフが示す練習である。
「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」の国際語エスペラントの単語の説明もフランス語、英語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語で書かれている。
FUNDAMENTA KRESTOMATIOという442ページの本がある。その第一版の序文の日付は1903年4月である。その最初の読み物である練習EKZERCOJは「練習読み物EKZERCARO」の§1§2§3§4§11§13§15§17§19§21§23を取り除いたものである。単語の説明はない。1903年にはエスペラント博士の国際語は「エスペラント」と呼ばれるようになっていた。「国際語」は普通名詞になっていた。FUNDAMENTA KRESTOMATIOは国際語エスペラントで執筆できるようになるのを目標としていて、熟読するように序文に書かれている。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」に習熟するのもFUNDAMENTA KRESTOMATIOの目的の一つである。FUNDAMENTA KRESTOMATIOにはアンデルセン童話の「裸の王様LA NOVAJ VESTOJ DE LA REO」と「人魚姫LA VIRINETO DE MARO」が入っている。エスペラント博士著『国際語』の序文と16条の文法の国際語エスペラントでの記述も入っている。
1905年に16条の文法、「練習読み物」EKZERCAROと「普遍辞書」UNIVERSALA VORTAROを合わせて『エスペラント原典Fundamento de Esperanto』とした。国際語エスペラントによる序文がついている。16条の文法は1887年にエスペラント博士著『国際語』に発表されている。『エスペラント原典Fundamento de Esperanto』は1905年の国際語エスペラントの第一回世界大会で承認された。1905年の国際語エスペラントの第一回世界大会により、国際語エスペラントを話す人々がいると世間に認められるようになった。
ザメンホフはアンデルセン童話のすべての話を国際語エスペラントに翻訳している。
アンデルセン童話の最初の話である「火うち箱」Fajriloの朗読が2018年にYouTubeに登場した。字も書かれている。27分。日本語で「火うち箱」を読んで、この朗読を聞くとよい。
「小さいクラウスと大きいクラウスMalgranda kaj granda Niko」と「裸の王様La novaj vestoj de la reĝo」もYouTubeに登場した。今後、YouTubeに国際語エスペラントのアンデルセン童話は増えると思われる。
fabeloj de andersenを検索すると、国際語エスペラントで書かれたアンデルセン童話集があるVikifontaroが出てくる。VikifontaroにはDua LibroとFundamento de Esperantoもある。
国際語エスペラントで朗読を聞くようになることと、母語と国際語エスペラントで対訳読書をするようになるのがエスペラント博士著『国際語』の学習目標である。音読と書き取りは練習である。
エスペラント博士著『国際語』でザメンホフは一千万人の人が国際語エスペラントを学ぶことを望んでいる。この一千万人とは国際語エスぺラントで朗読を聞く対訳読書をする人の数である。
国際語エスペラントの父ザメンホフは国際語エスペラントを教えたことはない。国際語エスペラントの試験問題を作ったこともない。
エスペラント博士著「国際語」と「エスペラント原典Fundamento de Esperanto」の活用については国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。

下の写真は『エスペラント原典』Fundamento de Esperanto(水星舎、ザメンホフ著)


0 国際語教育協議会
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)というのは、日本の国際語エスペラントの普及運動の革新を目指して運動していると、その指導者たちから聞いた。1972年のことである。当時、私はこの言葉を信じた。今思えば、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)というのは、国際語エスペラントの最初の学習書であるエスペラント博士著『国際語』(第一書Unua libro)は1日で学べるようになっていることを全く分かっていない人達の集まりであった。勿論、『エスペラント原典』Fundamento de Esperantoで継続も分かっていない。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)のかつての活動実態を知れば、1日で終わらない学習書を使って国際語エスペラントを学ぶことの愚かさを理解できて、1日で学べる最初の学習書(第一書Unua libro)の重要性を理解できる。
私は1972年4月、福岡県立福岡高校を卒業して九州大学理学部物理学科に入学した。入学直後、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の説明会があって、直接教授法による国際語エスペラントの授業を受けた。受験英語の学習法だけしか知らない私は感激した。この説明会には、国際語エスペラントの最初の学習書{第一書Unua libro)はなかった。私は1974年12月まで国際語教育協議会(Rondo Harmonia)にいたけど、その間に最初の学習書(第一書Unua libro)を見ることはなかった。もし見ていれば、直接教授法による国際語エスペラントの教育が誤りであるとに気づいたであろう。
直接教授法による授業は10回、直接教授法による授業の後はエスペラント講習用書とかいう教科書で文法、訳読と和文エスペラント文訳の授業が20回ぐらい。1日で学べる最初の学習書(第一書Unua libro)とは大違いである。直接教授法による教科書は使い捨てで復習は全く考慮されていなかった。エスペラント講習用書も復習は考慮されていない。ザメンホフの文もない。エスペラント講習用書を終えた後に合宿で、やっとザメンホフの著作を辞書を引きながら、訳読するのである。
国際語エスペラントを学び始めた人達の中の多くが途中で止めていった。最初の学習書(第一書Unua libro)で学べば、止めても1日で復習できるのに、1日で終わらない教科書を使っていたせいで、途中で止めた人達は復習できないのである。途中で止めた人達は国際語エスペラントを忘れていった。エスペラント講習用書を終えた人でも、国際語エスペラントの始まりを知らないままだから、国際語エスペラントを止める人は多く、国際語エスペラントを忘れていった。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)が、エスペラント語の学習を継続させるためにしたことは、合宿の反復と試験であった。合宿の最後に試験をするのである。合宿に多く参加すればエスペラント語を勉強できるというのである。何が何でも合宿という体質であった。合宿に連れていきさえすればよいという考えであった。これは国際語エスペラント博士とエスペラント原典を全く分かっていないとうことである。ザメンホフがエスペラント博士の名で『国際語』を発表したときには、『国際語』の講習会をする資金などなかったはずである。エスペラント語の誕生時には講習会などなかったはずである。エスペラント語の誕生時の講習会など聞いたことがない。もちろん、試験もなかったはずである。
エスペラント語は金をかけなくて学べる言語なのである。試験合宿で金と時間を浪費するエスペラント語の勉強は不可解である。
講習会、試験合宿はうまくいっていなかった。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント語の試験を普及することを目的とする団体である。私は国際語教育協議会(Rondo Harmonia)を嫌になり、1975年になると退会した。
1979年にエスペラント博士著『国際語』(水星舎、倉内ユリ子訳)が出版されたことは知らなかった。21世紀になって、これを知り、2006年5月に購入した。読んでみて、書店で売られているエスペラント語の学習書が1日で終わらない悪い学習書であることを知った。中には「四時間で覚える・・・」とかいう学習書もあるが、1日で終わるとは思えない頁数である。
21世紀になっても、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント博士著『国際語』をずっと無視したままである。1990年代以降、新入生はいないという。合宿をしていないという。それでも、相変わらず試験には詳しい。
私は、1日で読める最初の学習書(第一書Unua libro)であるエスペラント博士著『国際語』を使った学習方法を知らせる必要性を感じている。これは国際語エスペラント博士とエスペラント原典で述べている。
多くの人に、エスペラント語の最初の学習書(第一書Unua libro)であるエスペラント博著『国際語』は1日で読めることを知ってもらいたい。

1 1966年、国際語エスペラントの試験が必要だと考える大学生と中学生がいた

1966年、京都大学で国際語教育協議会(Rondo Harmonia)ができた。エスペラント語のサークルを増やしていこうという団体である。エスペラント語のサークルを運営するためにはエスペラント語の講師が必要である。エスペラント語の講師を養成するのが活動となる。養成した講師を認定するためには試験が必要となると国際語教育協議会(Rondo Harmonia)は考えていた。
1966年の後期日程の時、京都大学工学部の一年生だった大澤孝明氏がエスペラントを学び始めた。京都大学というのは超難関の大学である。超難関の大学には試験についてよく知っている学生が多い。大澤孝明氏が使っていた教材には設問があった。その教材を終えると試験できるのである。大澤孝明氏はエスペラントを学ぶのに試験が必要だと思い込んでいた。
同じ頃、佐賀県唐津市の中学二年生であった広高正昭氏は日本エスペラント学会(現在名は日本エスペラント協会、Japana Esperanto Instituto)の指導でエスペラントを学んでいた。広高正昭氏が使っていた教材にも設問があった。広高正昭氏もエスペラントを学ぶには試験が必要だと思っていた。

2 1972年、国際語エスペラントの試験が必要だと考える二人が九州大学の助手と学生になっていた

1972年4月、大澤孝明氏は九州大学工学部に助手として就職した。広高正昭氏は九州大学理学部物理学科の二年生であった。広高正昭氏は国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の春の全国合宿に参加した。これにより広高正昭氏は、エスペラント語の普及活動とは合宿だと確信するようになった。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の全国合宿は、毎年7月と3月に淡路島の国立青年の家で行われていた。全国合宿には100人以上の学生たちが参加していた。全国合宿は三泊四日であった。この他にも二泊三日の小さい合宿が、いろんな所で行われていた。
二人は九州大学に国際語教育協議会(Rondo Harmonia)のサークルをつくるために活動し始めた。広高正昭氏がサークルをつくり、大澤孝明氏は顧問と思えばいい。
1972年4月時点で、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)には京都大学エスぺラント研究会の他に、京都女子大学、奈良女子大学、神戸外国語大学、神戸大学、岡山大学、岡山理科大学、広島女学院大学、広島大学、山口大学、徳島大学、愛媛大学、九州工業大学、熊本大学、熊本女子大学、鹿児島大学のエスぺラント研究会が参加していた。この他にもあったかもしれない。
京都大学エスぺラント研究会が国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の事務局をしていた。岡山大学と岡山理科大学のエスぺラント研究会は特に熱心であった。

3 国際語エスペラントの試験の普及団体で疲れる、

私は1972年4月、高校を卒業して九州大学理学部物理学科に入学した。入学直後、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の説明会があって、直接教授法によるエスペラント語の授業を受けた。受験英語の勉強法だけしか知らない私は感激した。直接教授法による授業は十回、直接教授法による授業の後は『エスペラント講習用書』とかいう教科書で文法、訳読と和文エスペラント文訳の授業が二十回ぐらい。直接教授法による教科書は使い捨てで復習は全く考慮されていなかった。『エスペラント講習用書』も復習は考慮されていない。
エスペラントを学び始めた人達の中の多くが途中で止めていった。途中で止めた人達はエスペラント語を忘れていった。『エスペラント講習用書』を終えた人でもエスペラントを止める人は多く、エスペラントを忘れていった。
日本でのエスペラント語の団体の代表は日本エスペラント学会(現在名は日本エスペラント協会、Japana Esperanto Instituto)である。エスペラントの学習者を指導していると思えば、当たらずとも遠からずである。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)は学生を主にしていた。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)が、エスペラント語の学習を継続させるためにしたことは、合宿の反復と試験であった。合宿の最後に試験をするのである。合宿に多く参加すればエスペラント語を勉強できるというのである。何が何でも合宿という体質であった。合宿に連れていきさえすればよいという考えであった。
広高正昭氏は何が何でも合宿という考えが最も強かった。試験を実施するのを好きであった。大澤孝明氏は難しい試験問題をつくることに夢中になっていた。試験問題をつくるためにエスペラントを学んだのではと思われるほどであった。京都大学の大澤孝明氏の後輩たちは合宿の参加回数を自慢し、エスペラントの試験を話題にしていた。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント語の試験の普及を目的とする団体であった。1974年末までいた。その間に疲れてしまった。その間、エスペラント語が始まった時には試験がなかったことを知らなかった。

4 国際語エスペラントの試験の普及団体は独習を嫌っていた、書き取りがなかった

国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント語の試験の普及を目的としていたので、エスペラント語の独習を嫌っていた。独習者は上達しないと会員たちは言っていた。会員たちは書き取りをしなかった。
朗読を聞く、母語とエスペラントの対訳で読むのが国際語エスペラントの本来の学習法であり、書き取りと音読が練習であると知ったのは21世紀になってからであった。
国際語エスぺラントの誕生時には試験はなかった。ザメンホフは国際語エスぺラントを教えたことはない。独学で広まったのである。詳しくは国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はこれを無視している。

5 独習者のほうが学力が高い
鹿児島大学エスぺラント研究会の中心人物であった山下としひろ氏は中学生だった1964年にエスペラント生活を始めていて、1972年の国際語教育協議会(Rondo Harmonia)では国際語エスぺラント生活がもっとも長い人であった。国際語エスペラントの学力は最も高かった。2013年には国際語エスペラントの最も難しい試験の日本人最初の合格者になっている。彼は国際語エスペラントを人から習ったことはないのである。それは彼のホームページ「esperas!エスペラントの世界」で確認することができる。

国際語教育協議会ができた1966年に私に起きた事件を別れの時空選択に書いています。

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日出島哲雄(秀島哲雄)

2018年10月1日に「2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービスを終了」というメールが来た。
恐ろしい。
そのメールにはホームページの引越先が6つ紹介されていた。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVER、XREA、忍者ホームページ、StarServerであった。
ジオシティーズにあるホームページと同じホームページを引越先のサーバーにアップロードすることはできる。
新しいホームページは検索されて出てくるようになるまで長い月日を必要とするのである。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVERは有料なので使う気がしない。
XREA、忍者ホームページ、StarServerには無料サーバーがあるので、この三つから選ぶことになる。
忍者ホームページには悪い評判がない
2019年2月27日水曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに引っ越し。
Yahoo!geocitiesから引っ越し。Yahoo!ジオシティーズから引っ越し。
2019年3月28日木曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに転送設定。
2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービス終了