国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の崩壊

ザメンホフ(Zamenhof)のエスペラント語の最初の学習書(第一書Unua libro)の日本語訳は、エスペラント博士著『国際語』(水星舎、倉内ユリ子訳)である。この中の16条の文法、単語表と読み物は1日で読める。忘れたら、復習すればよいのである。1日で学べるから、復習も楽である。継続は『エスペラント原典』Fundamento de Esperantoでできる。以上のことは国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。
ところが、ザメンホフ(Zamenhof)以外の人物が作ったエスペラント語の学習書は、1日では終わらない。国際語エスペラント以外の言語の文法の学習は1日では終わらない。そのためか、国際語エスペラントの学習書を作る人達は、国際語エスペラントの学習も1日では終わらないと思い込んでいる。その結果、国際語エスペラントを学んでいる人達の多くは、国際語エスペラントの学習を投げ出すことになる。
国際語エスペラントが広まらない原因は、1日で終わらない学習書を使っているからである。このことを分かっている人には会ったことがない。最初の学習書(第一書Unua libro)を日本語に翻訳した倉内ユリ子氏は分かっていると思う。しかし、倉内ユリ子氏はエスペラント界では有名でない。結局、エスペラント語の普及運動をしている人達の中には、分かっている人は全くいないと思ってよい。
下の写真2枚はエスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』(水星舎、倉内ユリ子訳)。紙切れはとじ込まれている単語表。

1887年にエスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』が発表されるまで「国際語LINGVO INTERNACIA」という単語はなかった。「国際語LINGVO INTERNACIA」とはエスペラント博士が発表した言語を示す固有名詞であった。「世界語」という普通名詞はあった。
1887年、エスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』はロシア語で発表されて、ポーランド語、ドイツ語、フランス語での発表が続いた。ロシア語では二度目の発表もあったという。ロシア語での最初の発表のときと単語が少し変わったという。英語でのエスペラント博士著『国際語』はRichard H Geogheganというアイルランド人が翻訳したという。
1888年には、全文がエスペラント博士の国際語で記された小冊子が発表された。エスペラント第二書Dua Libroと呼ばれている。アンデルセン童話の「影法師ombro」の国際語エスペラント訳が含まれていた。
1894年には「練習読み物EKZERCARO」と「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」が発表された。
「練習読み物EKZERCARO」の§1はアルファベット、§2,§3,§4は単語による発音練習、§5から§42は読み物である。§5から§42の読み物の前には新出単語の訳語がフランス語、英語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語で書かれている。設問はない。黙読・音読・書き取りがエスぺラント博士ザメンホフが示す練習である。
「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」の国際語エスペラントの単語の説明もフランス語、英語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語で書かれている。
FUNDAMENTA KRESTOMATIOという442ページの本がある。その第一版の序文の日付は1903年4月である。その最初の読み物である練習EKZERCOJは「練習読み物EKZERCARO」の§1§2§3§4§11§13§15§17§19§21§23を取り除いたものである。単語の説明はない。1903年にはエスペラント博士の国際語は「エスペラント」と呼ばれるようになっていた。「国際語」は普通名詞になっていた。FUNDAMENTA KRESTOMATIOは国際語エスペラントで執筆できるようになるのを目標としていて、熟読するように序文に書かれている。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」に習熟するのもFUNDAMENTA KRESTOMATIOの目的の一つである。FUNDAMENTA KRESTOMATIOにはアンデルセン童話の「裸の王様LA NOVAJ VESTOJ DE LA REO」と「人魚姫LA VIRINETO DE MARO」が入っている。エスペラント博士著『国際語』の序文と16条の文法の国際語エスペラントでの記述も入っている。
1905年に16条の文法、「練習読み物EKZERCARO」と「普遍辞書UNIVERSALA VORTARO」を合わせて『エスペラント原典Fundamento de Esperanto』とした。国際語エスペラントによる序文がついている。16条の文法は1887年にエスペラント博士著『国際語』に発表されている。『エスペラント原典Fundamento de Esperanto』は1905年の国際語エスペラントの第一回世界大会で承認された。1905年の国際語エスペラントの第一回世界大会により、国際語エスペラントを話す人々がいると世間に認められるようになった。
ザメンホフはアンデルセン童話のうち106を国際語エスペラントに翻訳している。
アンデルセン童話の最初の話である「火うち箱Fajrilo」の朗読27分と「エンドウ豆の上に寝たお姫様Reĝidino sur pizo」の朗読3分が2016年にYouTubeに登場した。字も書かれている。日本語で「火うち箱」と「エンドウ豆の上に寝たお姫様」を読んで、これらの朗読を聞くとよい。
「小さいクラウスと大きいクラウスMalgranda kaj granda Niko」と「裸の王様La novaj vestoj de la reĝo」と「しっかり者の錫の兵隊Persista stana soldato」もYouTubeに登場した。
fabeloj de andersenを検索すると、国際語エスペラントで書かれたアンデルセン童話集があるVikifontaroが出てくる。VikifontaroにはDua LibroとFundamento de Esperantoもある。
国際語エスペラントで朗読を聞くようになることと、母語と国際語エスペラントで対訳読書をするようになるのがエスペラント博士著『国際語』の学習目標である。音読と書き取りは練習である。
エスペラント博士著『国際語』でザメンホフは一千万人の人が国際語エスペラントを学ぶことを望んでいる。この一千万人とは国際語エスぺラントで朗読を聞く対訳読書をする人の数である。
1906年には二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」が出版された。二葉亭四迷著「世界語」は16条の文法、読み物、単語集から成る。「世界語読本」の内容は「エスペラント原典Fundamento de Esperanto」の「練習読み物EKZERCARO」である。
二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」は国会図書館デジタルコレクションにある。インターネットで読むことができる。二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」も復習反復したくなる教材である。
国際語エスペラントの父ザメンホフは国際語エスペラントを教えたことはない。国際語エスペラントの試験問題を作ったこともない。二葉亭四迷も国際語エスペラントを教えたことはない、国際語エスペラントの試験問題を作ったことはない。
エスペラント博士著「国際語」と「エスペラント原典Fundamento de Esperanto」の活用については国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。

下の写真は『エスペラント原典』Fundamento de Esperanto(水星舎、ザメンホフ著)


0 国際語教育協議会
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)というのは、日本の国際語エスペラントの普及運動の革新を目指して運動していると、その指導者たちから聞いた。1972年のことである。当時、私はこの言葉を信じた。今思えば、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)というのは、国際語エスペラントの最初の学習書であるエスペラント博士著『国際語』(第一書Unua libro)は1日で学べるようになっていることを全く分かっていない人達の集まりであった。勿論、『エスペラント原典』Fundamento de Esperantoで継続も分かっていない。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)のかつての活動実態を知れば、1日で終わらない学習書を使って国際語エスペラントを学ぶことの愚かさを理解できて、1日で学べる最初の学習書(第一書Unua libro)の重要性を理解できる。
私は1972年4月、福岡県立福岡高校を卒業して九州大学理学部物理学科に入学した。入学直後、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の説明会があって、直接教授法による国際語エスペラントの授業を受けた。受験英語の学習法だけしか知らない私は感激した。この説明会には、国際語エスペラントの最初の学習書{第一書Unua libro)はなかった。私は1974年12月まで国際語教育協議会(Rondo Harmonia)にいたけど、その間に最初の学習書(第一書Unua libro)を見ることはなかった。もし見ていれば、直接教授法による国際語エスペラントの教育が誤りであるとに気づいたであろう。
直接教授法による授業は10回、直接教授法による授業の後はエスペラント講習用書とかいう教科書で文法、訳読と和文エスペラント文訳の授業が20回ぐらい。1日で学べる最初の学習書(第一書Unua libro)とは大違いである。直接教授法による教科書は使い捨てで復習は全く考慮されていなかった。エスペラント講習用書も復習は考慮されていない。ザメンホフの文もない。エスペラント講習用書を終えた後に合宿で、やっとザメンホフの著作を辞書を引きながら、訳読するのである。
国際語エスペラントを学び始めた人達の中の多くが途中で止めていった。最初の学習書(第一書Unua libro)で学べば、止めても1日で復習できるのに、1日で終わらない教科書を使っていたせいで、途中で止めた人達は復習できないのである。途中で止めた人達は国際語エスペラントを忘れていった。エスペラント講習用書を終えた人でも、国際語エスペラントの始まりを知らないままだから、国際語エスペラントを止める人は多く、国際語エスペラントを忘れていった。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)が、国際語エスペラントの学習を継続させるためにしたことは、合宿の反復と試験であった。合宿の最後に試験をするのである。合宿に多く参加すれば国際語エスペラントを勉強できるというのである。何が何でも合宿という体質であった。合宿に連れていきさえすればよいという考えであった。これは国際語エスペラント博士とエスペラント原典を全く分かっていないとうことである。ザメンホフがエスペラント博士の名で『国際語』を発表したときには、『国際語』の講習会をする資金などなかったはずである。国際語エスペラントの誕生時には講習会などなかったはずである。国際語エスペラントの誕生時の講習会など聞いたことがない。もちろん、試験もなかったはずである。
国際語エスペラント語は金をかけなくて学べる言語なのである。試験合宿で金と時間を浪費する国際語エスペラントの勉強は不可解である。
講習会、試験合宿はうまくいっていなかった。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)は国際語エスペラントの試験を普及することを目的とする団体である。私は国際語教育協議会(Rondo Harmonia)を嫌になり、1975年になると退会した。
1979年にエスペラント博士著『国際語』(水星舎、倉内ユリ子訳)が出版されたことは知らなかった。21世紀になって、これを知り、2006年5月に購入した。読んでみて、書店で売られている国際語エスペラントの学習書が1日で終わらない悪い学習書であることを知った。中には「四時間で覚える・・・」とかいう学習書もあるが、1日で終わるとは思えない頁数である。『4時間で覚える地球語エスペラント』である。『4時間で覚える地球語エスペラント』は16条の文法を使っているらしいので、妥協できる。16条の文法を使っていない学習書は論外である。
21世紀になっても、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント博士著『国際語』をずっと無視したままである。1990年代以降、新入生はいないという。合宿をしていないという。それでも、相変わらず試験には詳しい。
私は、1日で読める最初の学習書(第一書Unua libro)であるエスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』を使った学習方法を知らせる必要性を感じている。これは国際語エスペラント博士とエスペラント原典で述べている。
多くの人に、エスペラント語の最初の学習書(第一書Unua libro)であるエスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』は1日で読めることを知ってもらいたい。

1 1966年、国際語エスペラントの試験が必要だと考える大学生と中学生がいた

1966年、京都大学で国際語教育協議会(Rondo Harmonia)ができた。国際語エスペラントのサークルを増やしていこうという団体である。国際語エスペラントのサークルを運営するためにはエスペラント語の講師が必要である。エスペラント語の講師を養成するのが活動となる。養成した講師を認定するためには試験が必要となると国際語教育協議会(Rondo Harmonia)は考えていた。
1966年の後期日程の時、京都大学工学部の一年生だった大澤孝明氏がエスペラントを学び始めた。京都大学というのは超難関の大学である。超難関の大学には試験についてよく知っている学生が多い。大澤孝明氏が使っていた教材には設問があった。その教材を終えると試験できるのである。大澤孝明氏はエスペラントを学ぶのに試験が必要だと思い込んでいた。
同じ頃、佐賀県唐津市の中学二年生であった広高正昭氏は日本エスペラント学会(現在名は日本エスペラント協会、Japana Esperanto Instituto)の指導でエスペラントを学んでいた。広高正昭氏が使っていた教材にも設問があった。広高正昭氏もエスペラントを学ぶには試験が必要だと思っていた。

2 1972年、国際語エスペラントの試験が必要だと考える二人が九州大学の助手と学生になっていた

1972年4月、大澤孝明氏は九州大学工学部に助手として就職した。広高正昭氏は九州大学理学部物理学科の二年生であった。広高正昭氏は国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の春の全国合宿に参加した。これにより広高正昭氏は、エスペラント語の普及活動とは合宿だと確信するようになった。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の全国合宿は、毎年7月と3月に淡路島の国立青年の家で行われていた。全国合宿には100人以上の学生たちが参加していた。全国合宿は三泊四日であった。この他にも二泊三日の小さい合宿が、いろんな所で行われていた。
二人は九州大学に国際語教育協議会(Rondo Harmonia)のサークルをつくるために活動し始めた。広高正昭氏がサークルをつくり、大澤孝明氏は顧問と思えばいい。
1972年4月時点で、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)には京都大学エスぺラント研究会の他に、京都女子大学、奈良女子大学、神戸外国語大学、神戸大学、岡山大学、岡山理科大学、広島女学院大学、広島大学、山口大学、徳島大学、愛媛大学、九州工業大学、熊本大学、熊本女子大学、鹿児島大学、名古屋大学、東京大学のエスぺラント研究会が参加していた。この他にもあったかもしれない。
京都大学エスぺラント研究会が国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の事務局をしていた。岡山大学のエスぺラント研究会と岡山理科大学のエスぺラント研究会は特に熱心であった。

3 国際語エスペラントの試験の普及団体で疲れる、

私は1972年4月、高校を卒業して九州大学理学部物理学科に入学した。入学直後、国際語教育協議会(Rondo Harmonia)の説明会があって、直接教授法によるエスペラント語の授業を受けた。受験英語の勉強法だけしか知らない私は感激した。直接教授法による授業は十回、直接教授法による授業の後は『エスペラント講習用書』とかいう教科書で文法、訳読と和文エスペラント文訳の授業が二十回ぐらい。直接教授法による教科書は使い捨てで復習は全く考慮されていなかった。『エスペラント講習用書』も復習は考慮されていない。
エスペラントを学び始めた人達の中の多くが途中で止めていった。途中で止めた人達はエスペラント語を忘れていった。『エスペラント講習用書』を終えた人でもエスペラントを止める人は多く、エスペラントを忘れていった。
日本でのエスペラント語の団体の代表は日本エスペラント学会(現在名は日本エスペラント協会、Japana Esperanto Instituto)である。エスペラントの学習者を指導していると思えば、当たらずとも遠からずである。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)は学生を主にしていた。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)が、エスペラント語の学習を継続させるためにしたことは、合宿の反復と試験であった。合宿の最後に試験をするのである。合宿に多く参加すればエスペラント語を勉強できるというのである。何が何でも合宿という体質であった。合宿に連れていきさえすればよいという考えであった。
広高正昭氏は何が何でも合宿という考えが最も強かった。試験を実施するのを好きであった。大澤孝明氏は難しい試験問題をつくることに夢中になっていた。試験問題をつくるためにエスペラントを学んだのではと思われるほどであった。京都大学の大澤孝明氏の後輩たちは合宿の参加回数を自慢し、エスペラントの試験を話題にしていた。
国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント語の試験の普及を目的とする団体であった。1974年末までいた。その間に疲れてしまった。その間、エスペラント語が始まった時には試験がなかったことを知らなかった。

4 国際語エスペラントの試験の普及団体は独習を嫌っていた、書き取りがなかった

国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はエスペラント語の試験の普及を目的としていたので、エスペラント語の独習を嫌っていた。独習者は上達しないと会員たちは言っていた。会員たちは書き取りをしなかった。
朗読を聞く、母語とエスペラントの対訳で読むのが国際語エスペラントの本来の学習法であり、書き取りと音読が練習であると知ったのは21世紀になってからであった。
国際語エスぺラントの誕生時には試験はなかった。ザメンホフは国際語エスぺラントを教えたことはない。独学で広まったのである。詳しくは国際語エスペラント博士とエスペラント原典に述べている。国際語教育協議会(Rondo Harmonia)はこれを無視している。

5 独習者のほうが学力が高い

鹿児島大学エスぺラント研究会の中心人物であった山下としひろ氏はラ・サール学園の中学生だった1964年にエスペラント生活を始めていて、1972年の国際語教育協議会(Rondo Harmonia)では国際語エスぺラント生活がもっとも長い人であった。国際語エスペラントの学力は最も高かった。死語となっていたヘブライ語をイスラエルがどのようにして話し言葉として復活させたのかに関心を持ってていた。2013年には国際語エスペラントの最も難しい試験の日本人最初の合格者になっている。山下としひろ氏は国際語エスペラントを人から習ったことはないのである。それは山下としひろ氏のホームページ「esperas!エスペラントの世界」で確認することができる。
ラ・サール中学時代に山下としひろ氏が国際語エスペラントの学習書を読んでいるのを見て、関心を持った人がいた。木村明敏氏である。ラ・サール高校を卒業後、木村明敏氏は九州工業大学に進学し、九州工業大学のエスペラント研究会の中心人物になった。木村明敏氏は、「これからはコンピューターの時代」と言っていた。後に、日本IBMに勤めた。
山下としひろ氏は鹿児島大学に進学した。学生時代の山下としひろ氏は「今昔物語おもしろいよ」と言っていた。鹿児島大学を卒業後、山下としひろ氏は鹿児島県立高校の国語教諭として勤めた。21世紀になると山下としひろ氏は「源氏物語」を国際語エスぺラントに翻訳した。山下としひろ氏は韓国語もできるという。韓国の韓国語の二番目に難しい試験に合格しているという。いつ韓国語を学び始めたのかは私は知らない。英検二級にも合格しているという。日ごろ英語を使うことはないらしい。
山下としひろ氏は「練習読み物EKZERCARO」と書店で売られている学習書を学ぶことを勧められている。山下としひろ氏が勧める学習方法が有効なのは中学生である。
大学生は「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」の中の国際語エスぺラントを説明している英単語に習熟することから始めるほうが良い。2020年6月に「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」を辞書としてFundamenta Krestomatioを読んでみた。
2020年6月21日に「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」を読み始めた。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」では国際語エスぺラントのakv'は英語ではwaterである。waterの意味を英和辞典で確認した。このように「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」で国際語エスぺラントの単語を説明している全ての英単語の意味を調べるのである。これを2020年8月7日に終えた。
Fundamenta Krestomatioを2020年8月8日に読み始めた。10月17日に読み終えた。Fundamenta Krestomatioは442ページある。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」にない単語もFundamenta Krestomatioにはある。それでも、「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」を読み通しておくと、Fundamenta Krestomatioを読むのは楽になる。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」にない単語に出くわした時にはTEACH YOURSELF Esperanto Dictionaryというエスぺラント英語辞典で調べた。英和辞典で調べた。
国際語エスペラントの学習とは、16条の文法と単語を覚えることである。「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」を読み通すのは必要である。TEACH YOURSELF Esperanto Dictionaryには16条の文法の英語による記述がある。
Fundamenta Krestomatioを読み通した後にはPRIVILEGIA VOJOを読んでいる。PRIVILEGIA VOJOは121頁ある。PRIVILEGIA VOJOは辞書なしで読める。PRIVILEGIA VOJOを2020年11月11日に読み終えた。PRIVILEGIA VOJOはエスぺラント国の小学校の教科書と思ってよい。11月12日以後、PRIVILEGIA VOJOを読む日もあれば、Fundamenta Krestomatioを読む日もある。

6 エスペラント博士著『国際語』の序文と16条の文法がインターネットで読めるようになった。

2021年になると、エスペラント博士著『国際語』の序文と16条の文法がインターネットで読めるようになっていた。VikifontaroにFundamenta Krestomatioがある。その中のARTIKOLOJ PRI ESPERANTOがある。また、その中のEL LA UNUA LIBRO DE LA ESPERANTOはエスペラント博士著『国際語』の序文である。グーグルの自動翻訳で日本語に翻訳できる。
EL LA UNUA LIBRO DE LA ESPERANTOの次はPLENA GRAMATIKO DE ESPERANTOである。16条の文法である。グーグルの自動翻訳による日本語訳は良くないけど、自動翻訳は改良されつつある。

7 二葉亭四迷の「世界語読本」の朗読がYouTubeで聞けるようになった

2021年になると、YouTubeで「ekzerco 1」、「ekzerco 2」、----、「ekzerco 42」を検索して、Fundamento de EsperantoのEKZERCAROの§1から§42の朗読の動画が出てくるようになった。エスペラント博士著『国際語LINGVO INTERNACIA』の序文と16条の文法を読んでから聴くとよい。または二葉亭四迷著「世界語」を読んでからでも聴いてもよい。
1906年に二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」が出版された。二葉亭四迷著「世界語」は16条の文法、読み物、単語集から成る。「世界語読本」の内容は「エスペラント原典Fundamento de Esperanto」の「練習読み物EKZERCARO」である。
二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」は国会図書館デジタルコレクションにある。インターネットで読むことができる。二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」も復習反復したくなる教材である。
PLENA GRAMATIKO DE ESPERANTOの朗読をYouTubeで聴くことができる。PLENA GRAMATIKO DE ESPERANTOは二葉亭四迷著「世界語」の16条の文法と同じである。
PLENA GRAMATIKOの朗読、「ekzerco 1」、「ekzerco 2」、----、「ekzerco 42」の朗読を繰り返し聴いておけば、二葉亭四迷著「世界語」と「世界語読本」に習熟するのと同じである。
続いて、kronviruso禍に関する動画を聴いてみよう。『エスペラント原典Fundamento de Esperanto』の「万国辞書UNIVERSALA VORTARO」を読むと、kronviruso禍に関する動画とかdenaskulojの動画を聴くのが楽になる。kronviruso禍に関する動画を聴くのは、国際語エスペラントの100人の音声を聴くことの始まりになる。
読解力をつけようと思えば、sonlibroの朗読をYouTubeで聴く読む、すればよい。執筆できるようになろうとすれば、Fundamenta Krestomatioを熟読する必要がある。
Fundamenta Krestomatioの中のEkzerco,Plena gramatiko de esperanto,La novaj vestoj de la reĝo,La espero,La vojo,Mia penso,「Ho,mia kor'」,Preĝo sub la verda standardo,Virineto de maroはYouTubeで聴くことができる。

8 試験官が国際語教育協議会の生みの親

大澤孝明氏の話によると、鈴木弘という人物が国際語教育協議会の生みの親だという。鈴木弘という人物については、Arkivo de Harmonioというインターネットに公開されているPDFの248号に柴山純一氏が「1968年から70年代の思い出」で述べている。「JEI学力検定試験初級の試験官は宇都宮大学OBの鈴木弘さん、後に、この方はRH設立に大きく関わった方と知った。」と記されている。JEIとはJapana Esperanto Instituto。RHとはRondo Harmonia国際語教育協議会である。柴山純一氏は2010年頃のJEIの理事長。2021年12月13日に柴山純一氏の「1968年から70年代の思い出」を読んだ。
世界エスペラント協会はUniversala Esperanto Asocioである。

9 国際結婚

熊本大学工学部機械工学科の学生だった坂口節氏はポーランド人の学生Alicjaと文通していた。Alicjaはハンガリーに留学していて、言語学を学んでいた。後に、坂口節とAlicjaは結婚して、ドイツに住むようになった。Alicja sakaguchiという項目がVikipedioにある。
1974年の夏休みにAlicjaは日本に来た。当時、Alicjaはハンガリーに留学していて言語学を学んでいた。坂口節氏は熊本大学工学部機械工学科の4年生だった。坂口節氏がAlicjaを案内した。Alicjaは、京都大学工学部機械工学科の2年生だった植田君を見て「hungaro」と言った。植田君がハンガリー人に似ているというのだ。植田君は勿論驚いた。まわりにいた人たちも、植田君がハンガリー人に似ているのかと驚いた。植田君は典型的な日本人の顔立ちだと、誰もが思っていたからだ。
植田君は第二外国語としてロシア語を学んでいた。植田君はAlicjaに「ポーランド語はロシア語に似ていますか」と国際語エスペラント」で尋ねた。alicjaは「少し似ている」と国際語エスぺラントで答えた。植田君は「少し似ているだけなのか」と、がっかりしていた。
Alicjaは坂口節氏と熊本に行く電車に私も乗った。私は九州大学理学部物理学科の3年生だった。私は「ドイツ語は難しい」と国際語エスペランで言った。Alicjaは「ドイツ語はヨーロッパで最も易しい言語です。ハンガリー語は、とても難しい」と国際語エスペラントで言った。

国際語教育協議会ができた1966年に私に起きた事件を別れの時空選択に書いています。

このサイトの頁構成図
日出島哲雄(秀島哲雄)

2018年10月1日に「2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービスを終了」というメールが来た。
恐ろしい。
そのメールにはホームページの引越先が6つ紹介されていた。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVER、XREA、忍者ホームページ、StarServerであった。
ジオシティーズにあるホームページと同じホームページを引越先のサーバーにアップロードすることはできる。
新しいホームページは検索されて出てくるようになるまで長い月日を必要とするのである。
さくらのレンタルサーバー、LOLIPOP、XSERVERは有料なので使う気がしない。
XREA、忍者ホームページ、StarServerには無料サーバーがあるので、この三つから選ぶことになる。
忍者ホームページには悪い評判がないので、忍者ホームページを選んだ。
2019年2月27日水曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに引っ越し。
Yahoo!geocitiesから引っ越し。Yahoo!ジオシティーズから引っ越し。
2019年3月28日木曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに転送設定。
2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービス終了。