筑前糸島の天子宮

一 荒金卓也氏の天子宮研究

『九州古代王朝の謎』の著者・荒金卓也氏は、熊本県内のどこかに「日出づる処の天子・多利思北孤」の遺跡や伝承などがあるのではと考えられた。熊本県の道路地図をご覧になっていて、その名もずばりの天子宮を見つけられた。最初に見つけられた天子宮は、熊本市より東の大津町にある。荒金卓也氏は、大津町以外にも熊本県内に多くの天子宮を見つけられた。

二 検索で天子社がぞろぞろ

荒金卓也氏が天子宮を調べられた時は、まだ検索エンジンはほとんど使われていなかった。二00六年に私は、天子神社を検索してみた。佐賀県鹿島市にも天子神社があることが分かった。鹿島市の天子神社は、『九州古代王朝の謎』には書かれていなかった。
その後、古川清久氏から佐賀県江北町にも天子社があるという知らせが来た。氏は検索エンジンを活用して、天子を祀る神社が、『九州古代王朝の謎』に記されている他にも多くあることを見つけた。
筑前にも天子を祀っていたと思われる神社があるので調べて欲しいと、古川清久氏から私は頼まれた。私は筑前の天子社を調べることにした。氏は、糸島には隠されている天子社が多いと思われると言う。まず、糸島から調べることにした。

三 『筑前国続風土記』の天子社

『怡土志摩地理全誌』と貝原益軒の『筑前国続風土記』に天子社について書かれているのではと思い、調べてみた。天子社があるのは怡土郡と志摩郡だけだった。以下に『続風土記』と『怡土志摩地理全誌』の記述を紹介する。

糸島の天子社の一覧表

場所−−−−−−−−『続風土記』−−−−『怡土志摩地理全誌』
西区周船寺−−−−松ノ木天子社−−−なし
西区飯氏−−−−三郎天子社−−−−−三郎天子社
前原市山北−−−十六天子社−−−−−なし−−−−−−−額束は「十六天子宮」
前原市三坂−−−十六天子社−−−−−十六天子社
前原市高田−−−能徳天子社−−−−−なし
前原市香力−−−−なし−−−−−−−三社天子神社

『筑前国続風土記』の各天子社の説明を記す。原文の漢字の旧字体を現字体またはカタカナにしておく。

(怡土郡の周船寺村の)松ノ木天子社
村の西にあり。産神也。祭る所埴安命なり。社内に神木松二株あり。
(怡土郡飯氏村の)
産神也。ヒルコ命、スサノオ尊、月読尊を祭れり。鎮座の始詳ならす。
(怡土郡山北村の)十六天子社
村中にあり。産神也。祭る所国常立尊・国狭槌尊・(七人の神の名)・イザナギ尊・イザナミ尊・天照太神・天忍穂耳尊・彦火ニニギ尊・彦火々出見尊・ウガヤフギアエズ尊なり。鎮座の始詳ならす。
(怡土郡御坂村の)十六天子社
産神也。祭る所天神七代・地神五代の神也。鎮座の始詳ならす。社内に八龍神祠・九龍神祠・石祠三(祭神不詳社家は天神ともいふ)阿弥陀あり。天正五年従五位下大蔵朝臣隆種としるせる棟書本社に蔵めり。文禄二年村民本社を再興し、明暦年中にも改造し、天明五年にも今の社を重建せり。
(志摩郡高田村の)能徳天子社
産神也。祭る所天神七代・地神五代の神なりといふ。昔の社はノフトクといふ所にありしそ。

大正十五年に編集された『糸島郡誌』では、松ノ木天子社は伊と神社、三郎天子社は飯氏神社、山北村の十六天子社は十六天神社、御坂村の十六天子社は三坂神社、能徳天子社は能徳神社になっている。
福岡市西区太郎丸の十六天神社を訪ねた時、十六天神社の隣に住む人から、「十六」は「いざよい」と読むというと聞いた。しかし、山北の「十六」は「じゅうろく」と読むという。

四 『怡土志摩地理全誌』の天子社

油比章祐氏の『怡土志摩地理全誌』(糸島新聞社)には天子社が三つ記されている。そのうち、三郎天子社、前原市三坂の十六天子社は『筑前国続風土記』に記されている。
前原市香力の三社神社は三社天子神社といわれていたという。三社天子神社は『筑前国続風土記』に記されていない。三社天子神社の地が筑前藩領でなく中津藩領であったためである。
『怡土志摩地理全誌』の三社天子神社の説明を記しておく。

三社神社
祭神は手力雄命、豊国主命、国狭槌尊とめずらしい三柱の神を祀る。恐らく筑前では唯一の神社であろう。祭日は一一月一五日。永正年中(一五0四ー一五二一年)の創建であるが、勧請の由来は不明。昔、三社天子神社といっていたらしいが、明治初め、三社神社と改称するよう県から指令を受けている。神仏混淆で律宗興福寺の僧が祭祀を受け持っていたが、住僧がいなくなり、明治初年頃は雷山大悲王院が祭祀を担当していた。今次大戦で消失した金比羅宮を合祀している。
金比羅宮
・・・・阿岐仁天皇社が本名らしい。明治初め、県は白峰神社と改称させたが、後、金比羅宮になった。祭神は大物主神、須世利姫命、顕仁天皇となっている。・・・・今次大戦の空襲で、隣の興福寺と共に消失し、三社神社に合祀している。

五 主船寺と天子社

周船寺という地名の起源は主船寺という役所があったからだと伝えられている。周船寺の松ノ木天子社から飯氏の三郎天子社までは歩いて約十五分、高田の能徳天子社までは約三十分。これらの天子社の起源は主船寺と関係あると思われる。

六 防人と天子宮

私は、三坂神社が十六天子社であったことに驚いた。私は、三坂が雷山神籠石を守る防人に与えられていた土地として調べたことがある。当然、三坂神社にも行っている。これについては、古田史学論集『古代に真実を求めて』第十一集の「不破道を塞げ─壬申の乱は九州─」という論文に発表している。
山北の神社の鳥居には「十六天子宮」と書かれている。他の天子社も天子宮であったと思われる。
御坂の十六天子社から山北の十六天子社までは歩いて約三十分、香力の三社天子神社までは歩いて三十分。御坂の十六天子社も十六天子宮であったと思われる。
天子宮の創建は十六世紀であるが、ここで天子を祀るのは防人の時代に起源があるのではなかろうか。雷山神籠石を守っていた防人たちは天子直属だったのではなかろうか。

七 細石神社と天子宮

糸島の天子宮について気になることがある。これらの天子宮が細石神社を囲んでいることである。
飯氏の三郎天子社、周船寺村松ノ木天子社、高田の能徳天子社は細石神社の北にある。御坂の十六天子社、香力の三社天子神社は細石神社の西にある。山北の十六天子宮は細石神社の南にある。細石神社の東にあるのは高祖神社である。
細石神社が君が代と関係あることは、よく知られている。糸島の天子宮が君が代と関係あることは確実である。
古田先生は、志賀島の金印は細石神社にあったのを筑前藩主であった黒田家が取り上げた、と主張されている。そうであるならば、糸島の天子宮は金印とも関係あることになる。
写真は飯氏の三郎天子社の由緒書き
写真は山北の十六天子宮の鳥居。
写真は山北の十六天子宮
以上、2008年4月22日で分かっていることです。
山北の十六天子宮には古田武彦氏が来られたことがあります。
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日出島哲雄(秀島哲雄)

2018年10月1日に「2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービスを終了」というメールが来た。
そのメールにはホームページの引越先が六つ紹介されていた。
2019年2月27日水曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに引っ越し。
Yahoo!geocitiesから引っ越し。Yahoo!ジオシティーズから引っ越し。
2019年3月28日木曜日Yahoo!geocitiesから忍者ホーページhidesxima.ojaru.jpに転送設定。
2019年3月31日Yahoo!ジオシティーズのサービス終了